— 哲学では戦争は止まらない。それでも考え続ける理由 —
子供が死ぬニュースを見るたびに思う。
これを「仕方ない」で終わらせていいのか?
戦争で死ぬ。
事故で死ぬ。
病気で死ぬ。
まだ10歳にもなっていない子供が、
自分が経験してきた人生の喜びの半分も味わえずに死ぬ。
これに対して、
「そういうものだ」で納得できるのか?
正直に言うと、自分は無理だった。
アメリカで生活して、仕事をして、家族を持って、
それなりに現実を見てきたつもりでも、ここだけはどうしても飲み込めなかった。だから止まる。そして同じ問いに戻る。
「なぜ?」
なぜ戦争が起きるのか。
なぜ人は人を殺すのか。
なぜ何の罪もない子供が死ぬのか。
宗教では答えが見つからなかった。
政治も機能しているようには見えない。
だから哲学に行った。
結論から言うと、
すべてを納得できる形で説明する答えは出ない。
ただし、「説明できる部分」と「どうしても残る部分」ははっきり分けられる。
戦争や死には「説明できる部分」がある
まず、戦争について。
例えばイランとアメリカ、ロシアとウクライナ。
ニュースでは「悪い国」「正しい国」と単純化されがちですが、実際はそんなに単純ではない。
現実にはこういう要素が絡んでいる。
- 国家の安全保障(攻められる前に動くという恐怖)
- 資源や経済(石油、土地、物流ルート)
- 政治的な権力維持(国内の支持を失わないため)
- 歴史的・宗教的な対立
つまり、
それぞれの側に「やらざるを得ない理由」がある状態
これが戦争の実態です。
ここには因果関係がある。説明もできる。
同じように、人の死にも「仕組みとしての説明」はある。
- 爆撃 → その範囲にいた
- 事故 → 判断ミス、環境、偶然が重なった
- 病気 → 遺伝、ウイルス、免疫の問題
これは冷たいけど事実です。
世界は「原因」と「確率」で動いている
ここまでは理解できる。
それでも残る「なぜこの子なのか?」
ただし、ここで終わらない。
本当に止まるのはここです。
「なぜこの子なのか?」
同じ場所にいても助かる人もいる。
同じように生まれても長く生きる人もいる。
ここに対して、人は「意味」を求める。
宗教はここに答えを与えようとする。
- 因縁があった
- 神の意志
- 試練である
自分も実際にそこを通っている。
アメリカに来て、教会にも通い、キリスト教にも触れ、政治的な考え方も持つようになった。それでも、どれだけ考えても、
「この子が死んだ理由はこれです」と納得できる説明にはならなかった。
日本の宗教や哲学でも同じだった。
言葉として理解できる説明はある。でもそれは、
自分の中で「納得」に変わるものではなかった。
ここで分かったのは、
人は説明ではなく、納得を求めているということだった。
哲学が出してくる答え
哲学はここでかなり厳しいことを言う。
「理由があるとは限らない」
これは投げやりではない。人間は、
- すべてに意味があるはず
- 理由があるはず
と考えるようにできている。
でも現実は、
- 偶然
- 確率
- 無関係な出来事の重なり
こういうもので動いている。だから、
「理由があるはずだ」と感じるのは人間の側の性質であって、
現実の側に必ず理由が用意されているわけではない
このズレが、納得できなさの正体だと思う。
それでも考え続けるしかない理由
哲学は答えをくれない。
むしろ、
- 世界は不条理
- 正解はない
- 完全な説明はない
と突きつけてくる。
それでも自分にとって意味があったのは、
考え続けることをやめなくていいと思えたことだった。
宗教は「こう生きなさい」と言う。
政治は「現実的にこうする」と言う。
でも哲学は違う。
「それで本当にいいのか?」と問い続ける
この姿勢そのものに価値があった。
アメリカ生活と英語の先にあったもの
自分はアメリカで生活しているが、
ここで一番大きかったのは、
環境が変わることで「外の評価」が一度リセットされることだった。
日本にいると、人はこういうもので評価される。
- 学歴
- 会社
- 肩書き
- 年収
これはつまり、「他人から見た自分の価値」です。
でもアメリカに来ると、
- 日本の大学 → 知られていない
- 日本の会社 → 通じない
- 日本での評価 → ほぼ無効
になる。つまり、
今まで積み上げてきた外の評価が一度消える
これが「リセット」の意味です。
ここで何が起きるか?残るのは、
- 自分は何を信じるのか
- 何を基準に判断するのか
- どう生きるのか
つまり、内面しか残らない。
これ、実際かなりきついです。
- 英語が通じない
- 評価されない
- 立場がなくなる
こういう状態を一度通る。
その時に初めて考える。
「自分って何でできてるんだ?」
日本にいたら気づかなかったと思う。
なぜなら、外の評価がずっと機能し続けるから。
だから、ある程度うまくいっている限り内面を問い直す必要がない。
でも環境が変わると、強制的にそれが起きる。
そしてその先で、哲学にぶつかる。
自分の立ち位置とこれから
戦争はすぐには止まらない。
政治も万能じゃない。
宗教も全員を納得させない。
それでも思う。
何かできることを探し続けるしかない
世界を良くするため。
困っている人が少しでも減るように。
これは理想論かもしれない。でも、
それを考え続けること自体が人生だと思っている
共感と壊れない理由
自分は、子供が死ぬのを見ると普通に辛い。
ただ、ここははっきりしている。
自分は壊れない
なぜか?
不条理をすべてを背負おうとしていないから
共感が強い人は壊れると言われる。
それは、
- すべてを自分の責任だと思う
- 全部を背負おうとする
こうなった時です。でも自分は違う。
- 感じることはやめない
- でも責任は限定する
だから壊れない。そしてこう決めている。
自分が関わる人には責任を持つ
善の選び方
人は善にも悪にもなる。これは事実です。
でも自分はこうする。
自分は悪にはならない
なぜか?
意識して善を選び続けるから
もちろん、
- 周りから悪と評価されることはある
- 判断を間違えることもある
それでも、
自分が善だと信じて選んだかどうか
ここを基準にする。
最後に
最初は答えが欲しかった。
でも最後に残ったのはこれだった。
哲学ではすべての答えは出ない
それでも、
良く生きることはできる
納得して生きることはできる
そして考え続けることができる
だから自分はこうする。
全員は救えない
でも関わる人は確実に良くする
そして、それでも理想は捨てない
現実を知った上で、それでも理想を持ち続ける。
それが自分の善だと思っている。
最後に一つだけ。
「なぜ?」を手放さない
答えが出なくてもいい。でも、考えることはやめない。
それが、自分にとっての「ちゃんと生きる」ということだった。

Leave a Reply