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アメリカ歴史Part 3:自由の国が、自分たちの自由をめぐって戦争を始めた
Part 2では、イギリスの植民地だった13植民地が独立し、アメリカという国家を作っていくところまで見ました。Declaration of Independenceでは、“all men are created equal”と宣言した。Constitutionを作り、Bill of Rightsで自由や権利を守ろうとした。WashingtonからMonroeまでの初期大統領の時代には政治制度も整い、1803年のLouisiana Purchaseによって国土まで一気に広がります。 ここだけ見ると、若いアメリカが順調に成長していったように見えます。でも実際には、最初から二つの大問題を抱えていました。その土地には、すでにNative Americansが住んでいた。そして、「自由の国」が奴隷制を維持していた。しかもアメリカが西へ広がれば広がるほど、この二つの問題から逃げられなくなります。 ここで、現在の50州の地図はいったん忘れた方がいいです。1800年代前半のアメリカには、まだ「州」になっていない巨大なterritoriesが残っていました。つまり当時のアメリカは、完成した国ではなく、これからどんな国になるかを決めている途中だった。 新しいterritoryが州になるたびに、「そこでは奴隷制を認めるのか?」を決めなければならない。これは道徳だけの問題ではありません。土地。金。労働力。Cotton。州の権限。Federal Governmentの権限。Senateの議席。大統領選挙。全部つながっています。 最終的にアメリカは、この問題を政治では処理できなくなります。そして1861年、建国から100年も経たないうちに、自分たち同士で戦争を始めます。これがCivil Warです。 ざっくり年表(Part 3の地図) 1803年 — Louisiana …
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アメリカ歴史Part 2:革命は理想か、それともビジネスか
Part1では、アメリカが「自由の国」として始まったわけではないことを書きました。北米にはもともと先住民社会があり、その上にヨーロッパ列強が入り込み、土地、交易、労働力、宗教、軍事をめぐって争った。そして1754年から1763年のフレンチ・インディアン戦争でイギリスがフランスに勝利します。普通ならここで「勝ってめでたし」となりそうですが、そうはなりませんでした。 戦争には莫大な金がかかります。イギリスは領土を増やした一方で、巨大な戦費負担と、その新しい領土を守るコストまで抱えることになりました。そこで本国は考えます。「そもそも北米の植民地を守るためにも戦ったんだから、植民地側にも負担してもらおう」理屈だけ聞けば、そこまで無茶な話でもありません。 ところが植民地側からすれば、「いや、こっちの代表もいないロンドンの議会が、勝手に税金を決めるのはおかしいだろ」となる。ここから、税金の話が権利の話になり、権利の話が独立の話になり、最後には戦争になります。 アメリカ独立革命は「自由を求めた人々が圧政に立ち向かった」という話だけではありません。税金、商売、密輸、独占、戦費、土地、統治権。かなり現実的な話から始まっています。ただし、その現実的な争いから生まれた「自由」や「政府を疑う」という思想が、その後250年近くアメリカを動かし続けることになります。 ざっくり年表(Part2の地図) 細かい人物名を覚える前に、まず流れを固定します。 1763年 — フレンチ・インディアン戦争終結イギリスが勝利。しかし莫大な戦費負担が残る。 1765年 — Stamp Act(印紙法)植民地で「No taxation without representation」という反発が強まる。 1770年 — Boston Massacre(ボストン虐殺事件)ボストンで英兵と市民が衝突。反英感情が加速する。 1773年 — Boston Tea Party(ボストン茶会事件)茶税と東インド会社をめぐる政策への抗議として、大量の茶を海へ投棄。 1774年 …
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アメリカ歴史Part 1:アメリカは「自由の国」として始まっていない
アメリカの歴史というと、1776年の独立宣言から始まるイメージが強いです。けれど、それは「アメリカ合衆国という国家の誕生日」に近い話であって、この大陸の歴史の始まりではありません。独立宣言よりずっと前から、北米には人が住み、社会があり、交易があり、土地をめぐる争いがありました。そしてヨーロッパ人が来たあとも、話は「自由を求めた移民が新しい国を作った」では終わりません。実際には、先住民社会の上に、ヨーロッパ列強の帝国競争と、植民地ビジネスと、戦費回収の都合が重なって、あとから「アメリカ」ができていきます。 実際にアメリカで生活していると、この“独立以前”の前提を知らないと話が噛み合わない場面が普通に出てきます。 このPartで押さえるべき結論 このPartで押さえるべきことは、きれいに言えば3つです。 まず、北米には最初から先住民がいました。しかも「少人数が点在していた」みたいな話ではありません。地域ごとに違う文化圏があり、農耕社会も都市的な中心地もありました。 次に、北米は最初から「アメリカ」という一国の舞台ではなく、スペイン、フランス、イギリスなどの列強が覇権を争うための空間でした。北米で起きた戦争の多くは、実際にはヨーロッパ本国の争いの延長です。 そしてもう一つ。植民は理想だけで進んだわけではありません。土地、労働力、商品作物、税、軍事、利益。そういうものが最初から中心にありました。ジェームズタウンが象徴的ですが、あれは理想の共同体というより、投資案件です。 この3つを頭に入れておくと、今のアメリカの土地感覚、人種問題、政府不信、銃の権利意識、州ごとの文化差まで、かなり見えやすくなります。これは大げさではなく、だいたい全部ここから始まっています。 アメリカで「なんでこうなるの?」と感じることは、だいたいこの3つに戻ってきます。 ざっくり年表(Part1の地図) 細かい話に入る前に、まずは流れを固定します。忙しい人はここを押さえるだけでもだいぶ違います。 1492年、コロンブスが大西洋を渡ります。ただし「発見」という言い方そのものが政治的で、そこに誰もいなかったわけではありません。 1500〜1600年代にかけて、スペイン、フランス、イギリスが北米・中南米で探検と拠点づくりを進めます。目的は信仰や冒険心もゼロではないですが、現実には交易と領土と国家競争です。 1607年、イギリスがジェームズタウンを建設します。ここがイングランドによる北米最初の恒久植民地です。 1620年、メイフラワー号で渡ったピルグリムたちがプリマス植民地を築きます。ここは「宗教の自由」で語られがちですが、実際は「自分たちの信仰共同体を、自分たちの規律で維持したい」という話でもあります。 1700年代前半になると、英仏の覇権争いが北米で激しくなります。先住民の諸勢力も巻き込まれ、地域ごとに同盟や対立が組み替わっていきます。 1754〜1763年がフレンチ・インディアン戦争です。これは七年戦争の北米戦線と考えると分かりやすいです。 1763年、イギリスは勝ちます。けれど勝ったから終わりではありません。戦争には莫大な金がかかり、勝利したイギリスには大きな戦費負担が残りました。しかも新しく広がった領土を維持するコストまで増える。そこで本国は「植民地も払え」と考え、課税を強める。この「借金→課税→反発」が、独立革命の導火線になります。 「勝ったのに揉める」という構造は、アメリカでは歴史の初期から繰り返されています。 1. 最初にいたのは誰か 人類はどうやって北米へ来たのか 北米の先住民の歴史は、コロンブスよりずっと前、氷河期までさかのぼります。現在の研究では、北アジア側から人類が北米へ移動したこと自体は広く受け入れられています。昔の教科書では「ベーリング陸橋を渡って来た」と一言で終わりがちでしたが、今はもう少し複雑です。氷河期には海面が下がり、現在のベーリング海峡が陸地化した時期があった。そこがベーリンギアです。そこを経由して人が移動した可能性は高い。ただし、移動は一度きりではなく、複数回で、しかも沿岸ルートと内陸ルートの両方が関わった可能性があると考えられています。 ここで大事なのは、「誰かが一回すごい冒険をして渡った」という英雄物語にしないことです。実際には、かなり長い時間をかけて人が広がっていったと考える方が自然です。つまり、アメリカ大陸の人類史は、いきなり1776年で始まるような浅い話ではないということです。 「アメリカは移民の国」という言い方は間違いではないですが、ここを飛ばすとかなりズレます。 2. クロビス文化とは何か 「クロビス文化、約13,000年前」とだけ言われても何も見えてきません。なので、ここはちゃんと地図感覚で押さえた方がいいです。 クロビス文化は、おおむね約13,050〜12,750年前ごろの北米で確認される考古学的な文化です。名前の由来はニューメキシコ州クロビス近郊の代表遺跡で、Blackwater Drawが有名です。ただし、分布はそこだけに限りません。クロビス型の石器は北米のかなり広い範囲で見つかっていて、広域に似た狩猟技術が共有されていた可能性があります。…