アメリカ史Part 5のFeatured Image。Cold War、Civil Rights Movement、Moon Landing、Vietnam War、9/11、現代Americaまで、第二次世界大戦後のアメリカを描いた歴史コラージュ。

アメリカ史 Part 5:世界の警察になった国

1945年、World War IIが終わりました。Germanyは敗北し、日本も降伏しました。EuropeとAsiaの広い地域が戦場になり、Soviet Unionも莫大な犠牲を出しています。一方、America本土の工業地帯は戦場になっていません。戦争中に巨大化した工場、生産力、金融力、海軍力を持ち、さらに1945年時点ではAtomic Bombを独占していました。

Part 4で見たように、Americaにはかなり強烈な成功体験が残ります。「AmericaがPowerを使えば、危険なregimeを倒し、世界をbetterにできる」ところが戦争が終わると、もう一つの巨大なPowerが残っていました。Soviet Unionです。ここからAmericaは、World War IIとはまったく違う戦いに入ります。Cold Warです。そしてこのCold Warの約45年間で、AmericaはEurope、Korea、Cuba、Vietnam、Middle Eastへと関わっていきます。同時に国内では、「Freedomを守る」と世界に言っているAmerica自身にJim Crowが残っているという矛盾にも向き合うことになります。Part 5は、Powerを手に入れたAmericaが、そのPowerで何ができて、何ができないのかを知っていく時代です。


ざっくり年表

1945年 — World War II終了。 Germanyと日本が敗北し、AmericaとSoviet Unionが二つのSuperpowersとして残ります。ただし経済力まで互角だったわけではなく、Americaは巨大なindustrial・financial power、Sovietは巨大なland armyとEastern Europeへの影響力を持っていました。

1947年 — Truman Doctrine。 AmericaはSoviet Unionそのものを倒すのではなく、Communismをこれ以上広げないContainmentを外交政策の中心にしていきます。

1948〜1949年 — Berlin Blockade / Berlin Airlift。 Soviet UnionがWest Berlinへの陸路を封鎖。AmericaやUKは戦争を始める代わりに飛行機で物資を運び続けます。「撃たずにどこまで相手を押せるか」というCold Warらしい対立が始まります。

1949年 — NATO成立。 America、Canada、Western European countriesがcollective defenseの仕組みを作ります。同じ年、Soviet UnionもAtomic Bombの実験に成功。Americaによる核兵器独占はわずか4年で終わりました。

1950〜1953年 — Korean War。 North KoreaがSouth Koreaへ侵攻し、Americaを中心とするUN forcesが参戦。Northを押し返してChina border近くまで進むと今度はChinaが参戦し、結局ほぼ元の境界付近で休戦します。Cold Warが実際の戦争になった最初の大きな例です。

1954年 — Brown v. Board of Education。 Supreme Courtがpublic schoolでのracial segregationを違憲と判断。Jim Crowの“separate but equal”という法的な土台が大きく崩れ始めます。

1955年 — Rosa ParksとMontgomery Bus Boycott。 Parksの逮捕をきっかけにBlack communityが長期間busをboycott。Martin Luther King Jr.がnationally prominentなleaderになっていきますが、実際にはlocal activists、churches、lawyers、市民など多くの人が動いたmovementでした。

1957年 — Little Rock Nine。 Arkansas州政府が9人のBlack studentsの高校入学を妨げ、President Eisenhowerが101st Airborne Divisionを派遣。Civil Rightsが「Black vs. White」だけではなく、Federal Government vs. State resistanceの問題でもあることがはっきりします。

1962年 — Cuban Missile Crisis。 Soviet UnionがFloridaから約90 milesのCubaにnuclear missilesを配備。AmericaとSoviet Unionが直接nuclear warに発展しかねない危機となり、最終的には双方の妥協によって回避されます。

1963年 — March on Washington / JFK暗殺。 Martin Luther King Jr.がLincoln Memorialで“I Have a Dream” speech。同年11月、President John F. KennedyがDallasで暗殺され、Lyndon B. JohnsonがPresidentになります。

1964年 — Civil Rights Act。 Johnsonが署名し、public accommodationsでのsegregationやemployment discriminationなどをFederal lawで禁止。Movementだけではなく、President、Congress、Republican・Democratic legislatorsを含む政治的なcoalitionが制度を実際に変えます。

1965年 — Voting Rights Act / Vietnam本格化。 Voting Rights Actによってliteracy testsなどの差別的なvoting practicesへFederal Governmentが直接介入。同じ年、American combat troopsがVietnamへ本格投入され、年末には約175,000人に達します。Americaが国内ではFreedomを拡大しながら、海外ではVietnam Warを拡大していく時期です。

1968年 — Americaが大きく揺れた年。 VietnamではTet Offensive。Martin Luther King Jr.とRobert F. Kennedyが暗殺され、各地でsocial unrestとanti-war protestsが続きます。「Americaは本当にうまくいっているのか」という疑問が一気に強まります。

1969年 — Apollo 11 Moon Landing / Nixon Presidency。 AmericaはVietnamで苦しむ一方、人間をMoonへ送ります。Space RaceもCold Warの一部であり、Americaのscience・technology・industrial powerを世界に示す出来事でした。

1973年 — Paris Peace Accords。 American combat troopsがVietnamから撤退。しかしVietnam人同士のwarそのものが終わったわけではなく、NorthとSouthの戦闘は続きます。

1974年 — WatergateでNixon辞任。 Democratic National Committeeへの侵入事件そのものだけでなく、White Houseによるcover-upが大問題になります。Vietnamで弱くなっていたGovernmentへのtrustがさらに傷つきます。

1975年 — Saigon陥落。 North Vietnamese forcesがSaigonを制圧し、South Vietnamは消滅。Americaが長年避けようとしていたCommunist Vietnamの統一が現実になります。

1989年 — Berlin Wall崩壊。 East Germanyから始まった変化の中でBerlin Wallが開かれ、Eastern European Communist regimesが次々崩れていきます。Cold Warの終わりが目に見える形になります。

1991年 — Soviet Union崩壊 / Gulf War。 約45年間Americaと対立したSoviet Unionそのものが消滅。同じ年、Americaを中心とするcoalitionがKuwaitへ侵攻したIraq軍を短期間で追い出し、Vietnamとは対照的なmilitary operationとなります。

2001年 — 9/11 / War in Afghanistan。 al-Qaedaによるterrorist attacksでNew YorkのWorld Trade CenterとPentagonなどが攻撃されます。Americaはal-Qaedaを保護していたTaliban政権のAfghanistanでmilitary operationsを開始し、Cold Warとは違う「国家ではないEnemy」との戦いへ入ります。

2003年 — Iraq War。 Bush administrationはWMDなどを主要な根拠としてIraqへ侵攻。Saddam Hussein regimeは短期間で倒れますが、大規模なWMD stockpilesは発見されず、その後のIraqではinsurgencyやsectarian violenceが続きます。「Governmentを倒すこと」と「その後のCountryを安定させること」は別だという問題が再び出てきます。

2008年 — Barack ObamaがPresidentに選出。 1957年にはBlack studentsが高校へ入るためにFederal troopsの護衛を必要としたAmericaで、その約半世紀後にBlack candidateがPresidentに選ばれます。ただし、これはRaceをめぐるAmericaの問題が終わったという意味ではありません。


1945年、AmericaとSovietは同じくらい強かったのか

「Superpowerが二つ」と聞くと、AmericaとSoviet Unionの経済力が同じくらいだったように感じます。実際にはそうではありません。Americaは圧倒的なindustrial capacity、financial power、naval powerを持っていました。一方Soviet UnionはWWIIで国土を破壊され、人的損失も凄まじい。

それでもSovietがSuperpowerだった最大の理由の一つが、巨大なRed Armyです。1945年、Soviet troopsはEastern Europeに実際にいます。Poland、Hungary、Romania、Bulgaria、East GermanyなどがSoviet sphereに組み込まれていきます。

Americaの強さが、Money、Industry、Navy、Technologyだとすれば、Sovietの強さは、Army、Territory、Centralized State Powerでした。しかもSoviet systemでは、国民生活を豊かにするよりTank、Missile、Nuclear Weaponsを優先するというresource allocationも可能です。だから、「Americaほど豊かではない=軍事大国になれない」ではなかったわけです。


昨日まで一緒にHitlerと戦っていたのに、なぜ敵になるのか

AmericaとSoviet UnionはWWIIではAlliesでした。でも仲良しだったわけではありません。Hitlerという共通のEnemyがいたから一緒に戦った。AmericaはCapitalismとliberal democracyを基本とする。Soviet UnionはCommunist one-party state。Germanyが倒れると、この根本的な違いが前面に出ます。ただし、Soviet側のsecurity concernも無視できません。RussiaはNapoleonにも侵攻され、WWIでも戦場になり、Hitlerにも侵攻されました。特にWWIIの被害は巨大です。

Stalinからすれば、「もう西から攻め込まれたくない。Eastern Europeをbufferにしたい」となります。ところがAmericaから見ると、「SovietがEastern Europeを次々Communistにしている」となる。

Sovietから見ればDefense。Americaから見ればExpansion。Americaが対抗策を取れば、今度はSovietが、「Americaがこちらを囲んでいる」と考える。Cold Warは、この疑心暗鬼が自己増殖していった面があります。


Western BlocとSoviet Bloc

America側にはUK、France、Canada、Italy、West GermanyなどWestern Europeの国々が入り、AsiaではJapan、South Koreaなどが重要なAmerican alliesになっていきます。Soviet側にはEast Germany、Poland、Hungary、Czechoslovakia、Romania、Bulgariaなどが入ります。1949年にはChinaでもCommunist revolutionが成功します。

ただし、「Communist countryは全部Moscowの言いなり」と考えると後で間違えます。ChinaとSoviet Unionは後に激しく対立します。さらにCommunist ChinaとCommunist Vietnamまで1979年に戦争します。Ideologyが同じでもNational Interestまで同じではない。この点をAmericaはVietnamでも思い知らされます。


Containment ― Communismをこれ以上広げるな

Truman administrationが採用した基本戦略がContainmentです。Soviet Unionへ攻め込んでCommunismを消滅させるのではありません。これ以上広げさせない。1947年のTruman Doctrine。Marshall PlanによるEuropean economic recovery。そして1949年のNATO。Marshall PlanにはEuropeを復興させるだけでなく、povertyやpolitical instabilityの中でCommunismが支持を広げるのを防ぐ意味もありました。AmericaはMilitaryだけで戦ったわけではありません。豊かさそのものをCold Warのweaponにした。ここはかなりAmericaらしいところです。


NATOはCold Warから生まれた

1949年、America、Canada、UK、Franceなど12か国がNATOを作ります。中心にあるのはcollective defenseです。一つのmemberへのattackを、Alliance全体へのattackとして扱う。つまりSoviet Unionに、「West Germanyだけなら攻撃できる、Franceだけなら大丈夫」とは思わせない。攻撃すればAmericaまで出てくる。NATOはCold War初期のEuropeのsecurity crisisから生まれました。


Berlin Airlift ― 撃たずにどこまで押せるのか

1948年、Soviet UnionがWest Berlinへのroad、rail、canal accessをblockします。West BerlinはSoviet-controlled East Germanyの中にあります。普通に考えれば絶体絶命です。AmericaとUKはTankで突破する代わりに、飛行機でfood、coalなどを運び続けました。最終的にSoviet側はblockadeを解除します。これがCold Warです。直接撃てばWorld Warになる。でも引けば相手が有利になる。だから、戦争をしないまま、戦争の一歩手前まで行く。


なんでこんなアホみたいな状態を何十年も続けたのか

外から見ると本当にそう見えます。AmericaがMissilesを増やす。Sovietが怖くなってMissilesを増やす。Americaがそれを見て、「ほら、Sovietはやっぱり危険だ」となってさらに増やす。Soviet側でも同じことが起きる。そして1949年にはSoviet UnionもAtomic Bombを持ちます。やがて両国とも相手を壊滅させられるほどのnuclear weaponsを持つ。

ここまで来ると、撃ったら相手が死ぬ。でも自分も死ぬ。これがnuclear deterrenceです。かなり狂ったpeaceです。でも一方だけが武器を減らせば、「相手が裏切ったら?」となる。だからやめられない。戦争を始められないほど武器が強くなったのに、戦争の準備だけはやめられない。これがCold Warの大きなparadoxでした。


Korean War ― Cold Warが本当にHotになる

1950年、North Koreaが38th parallelを越えてSouth Koreaへ侵攻します。Americaから見ると、これはContainmentのtestです。ここで許せば、「Communist sideはmilitary forceでterritoryを取れる」というprecedentになる。そこでAmericaを中心とするUN forcesがSouth Korea側へ参戦します。UN自体はCold Warのために作られた組織ではありません。1945年にWWII後のinternational security systemとして成立しています。ただしKorean WarのUN military actionはCold Warそのものです。しかもSecurity CouncilでSoviet UnionがChinaの代表権問題をめぐってboycottしていた時期だったため、Soviet vetoが使われませんでした。


なぜChinaまで出てくるのか

最初はNorth Korean forcesがSouthをかなり押します。しかしAmerica/UN forcesが反撃。今度はNorth Koreaを押し返し、38th parallelを越えます。そしてChina borderのYalu River近くまで進む。Chinaから見ると話が変わります。American-led armyが自分の玄関まで来た。North Koreaが消えれば、American-aligned KoreaとChinaが直接borderを接する可能性もある。そこでChinaが大量のforcesを投入します。America/UN側は押し戻されます。つまりChinaからすれば、「よその国の戦争に突然入った」というより、自国境までAmerica-led militaryが来たから介入したというsecurity logicがあります。


Korean Warはなぜ「Forgotten War」なのか

WWIIには分かりやすいendingがあります。Victory。Vietnamにも強烈なendingがあります。Saigon falls。でもKoreaは違います。

1953年にarmistice。国境は結局、ほぼ元の場所。North Koreaも残る。South Koreaも残る。Americaが完全勝利したわけでもなく、Vietnamのような明確なpolitical defeatでもない。しかもWWII終了からわずか5年後です。巨大なWWIIの記憶と、後のVietnamに挟まれてしまった。だから「Forgotten War」と呼ばれることがあります。しかし現在のNorth Korea、South Korea、American troops in Korea、Chinaとのsecurity relationshipを見ると、結果が現在まで残っている戦争です。


AmericaはFreedomを守る。でも国内にはJim Crowがある

Cold WarでAmericaは、Freedom。Democracy。を掲げます。ところがSouthではBlack Americansがwhite Americansと同じschoolへ行けない。Restaurantも別。Busも別。Votingも妨害される。これはmoralityの問題だけではありません。Soviet propagandaからすれば、「AmericaはFreedomと言っているけど、自国のBlack citizensはどうなの?」と攻撃できる。Cold WarとCivil Rightsは、実は完全に別のstoryではありません。


Martin Luther King Jr.がBlack Americansを「解放した」のか

ここはかなり単純化されがちなところです。King一人がBlack Americansを解放したわけではありません。でも「Kingの貢献は20%」のように数字で測ることもできません。実際には、

Grassroots organizersが人を動かす。
Black citizensがboycottする。
NAACP lawyersがcourtで戦う。
Federal judgesやSupreme Courtが判決を出す。
JournalistsやTVが現実を全国へ伝える。
Presidentがpolitical pressureをかける。
Congressがlawを通す。
Federal Governmentがenforceする。

Kingはその中でも、national mobilization、nonviolent protest、public persuasion、media attentionに非常に大きな役割を持ったleaderでした。つまりKingは重要です。でも、「Kingが現れてBlack peopleを救った」というstoryにしてしまうと、Civil Rights Movementがどうやって本当に制度を変えたのかが見えなくなります。


Rosa Parksも一人で突然始めたわけではない

1955年、Montgomery, Alabama。Rosa Parksがbusでwhite passengerへ席を譲ることを拒否して逮捕されます。しかしParksは単に、「仕事帰りで疲れていた普通のおばさん」だったわけではありません。NAACPで活動していました。そしてParks以前にもbus segregationへ抵抗したBlack citizensがいます。Parksのarrestをきっかけにlocal organizers、churches、Black communityが動き、Montgomery Bus Boycottが始まる。そこでnationally prominentになっていく若いpastorがMartin Luther King Jr.です。つまり、Parks → King → Civil Rightsという三段階のstoryではない。長年のlocal activismがあり、そこへ事件、organization、legal action、economic boycott、media、leadershipが重なったわけです。


Little Rock Nine ― なぜ高校生にArmyが必要なのか

1954年のBrown v. Board of Educationで、Supreme Courtはpublic school segregationを違憲と判断します。でも、Courtが「違憲」と言ったら翌日からみんな従いましたとはなりません。

1957年、Arkansas Governor Orval FaubusはNational Guardを使って、9人のBlack studentsがLittle Rock Central High Schoolへ入るのを妨げます。ここでPresident Dwight Eisenhowerが介入。Arkansas National GuardをFederal controlに置き、101st Airborne Divisionを派遣します。つまり、Black teenagersがAmerican public high schoolへ通うためにAmerican soldiersが必要になった。

Little Rock Nineが重要なのは、「9人が初めて何かをした」からだけではありません。Supreme Courtがrightを認めても、Stateが拒否したらどうするのか?という問題にFederal Governmentが実力で答えた事件だからです。


Civil Rights Actを成立させた人の方が重要では?

制度を実際に変えるという意味では、CongressとPresidentの役割は当然不可欠です。1964年のCivil Rights Actはpublic accommodationsでのsegregationやemployment discriminationなどにFederal lawを入れました。翌1965年のVoting Rights Actでは、SouthでBlack citizensのvotingを妨害してきた仕組みにFederal Governmentがさらに踏み込みます。

ここで重要なのは、MovementとLawのどちらが偉いかという二択にしないことです。Movementがpolitical pressureを作る。Mediaが全国へ見せる。Court casesがlegal foundationを作る。Presidentがlegislationをpushする。Congressional leadersがvotesを集める。Congressがlawを通す。Federal agenciesとcourtsがenforceする。このchainが必要でした。

だからPart 3から続いてきた話は、1865年にslaveryが終わったからBlack equalityが完成したではありません。約100年後になってようやく、Federal GovernmentがJim Crowの制度を本格的に壊していくところまで来たのです。


Cuba ― なぜあんな小さな島が世界をNuclear War寸前まで持っていくのか

CubaはFloridaから約90 milesです。1959年、Fidel CastroのrevolutionでBatista governmentが倒れます。Castro governmentはAmericaとの関係を悪化させ、Soviet Unionへ接近。そして1961年、AmericaはCIAが支援したCuban exilesによるBay of Pigs invasionを行います。失敗します。Cuba側からすれば、「Americaは本当にうちのgovernmentを倒そうとしている」と分かった。だからCastroがSoviet protectionを欲しがる理由があります。


SovietはなぜNuclear MissilesをCubaへ置いたのか

Soviet側にもlogicがあります。AmericaはSoviet Union周辺にmilitary presenceを持ち、TurkeyにはSoviet territoryへ届くAmerican Jupiter nuclear missilesがありました。だったらKhrushchevからすれば、「Americaがうちの近くにNuclear Missilesを置けるなら、こっちもAmericaの近くに置けばいい」となる。そこでCubaです。CubaそのものがAmericaを壊滅させるmilitary powerを持っていたわけではありません。問題は、Soviet UnionがAmericaの玄関前にNuclear Launch Siteを作ったことです。小さな島だから問題なのではない。場所が問題だった。


「そんなのCubaごと潰せばいい」では済まない

実際、American militaryにはair strikesやinvasionを主張する意見がありました。AmericaがCuba単独と戦えば、military balanceは圧倒的です。でもKennedyが考えなければならなかったのは、その次です。AmericaがCubaをattack。Soviet personnelが死亡。Soviet Unionが報復。どこで?Berlinかもしれない。Turkeyかもしれない。そしてAmericaがさらに報復。Sovietがさらに報復。最後はNuclear Weaponsです。つまり問題は、「Cubaに勝てるか?」ではありません。「Cubaを攻撃したあとMoscowが何をするか?」でした。

最終的にKennedyは即時attackではなくnaval quarantineを選びます。KhrushchevはCubaからmissilesを撤去。AmericaはCubaへ侵攻しないことを約束し、秘密裏にはTurkeyのJupiter missiles撤去も絡んだdealが成立しました。だから、Americaが睨みつけたらSovietが怖くなって逃げただけのstoryではありません。双方が相手に逃げ道を残したからNuclear Warを避けられたのです。


Vietnam ― AmericaがPowerの限界を知る

Vietnam Warは、Part 5の中心です。最初からAmerica vs. Communismだったわけではありません。VietnamはFrench colonial ruleの下にあり、Ho Chi Minh率いるViet MinhはFranceからのindependenceを求めて戦っていました。Ho Chi MinhはCommunistです。でも同時にVietnamese nationalistでもあります。1954年、FranceはDien Bien Phuで敗北。French colonial ruleは事実上終わります。


Geneva Settlement ― 戦争を止めるために国を一時的に割る

1954年のGeneva settlementで、Vietnamは17th parallel付近を境にNorthとSouthへ一時的に分けられます。ここは重要です。「Vietnamを永久に二つの国にしましょう」という構想ではありませんでした。Temporary military demarcation lineです。後にelectionを行い、統一する構想がありました。しかしそのelectionは実現しません。NorthにはHo Chi Minh。Southにはanti-Communist government。AmericaはSouthを支援します。つまり戦争を止めるためのtemporary divisionが、次の戦争の前提になってしまった。これは後から見るとかなり危ういsettlementでした。


Domino Theory ― Americaが怖かったのはVietnamそのものではない

AmericaがVietnamにこだわったのは、VietnamがAmericaをattackできる巨大軍事国家だったからではありません。「Vietnamの次」が怖かった。Chinaは1949年にCommunistになった。North Koreaは1950年にSouth Koreaへ侵攻。Eastern EuropeもSoviet側。

そこで、

Vietnam

Laos

Cambodia

Thailand

さらにSoutheast Asia

とCommunismが広がるのではないかと考えた。これがDomino Theoryです。当時のWashingtonはSoutheast Asiaのraw materials、sea routes、Indonesia、Philippines、そしてJapanのeconomic/security environmentまで含めて考えていました。だから「Vietnam、Laos、Cambodiaなんて小国だから放っておけばいい」とは考えなかった。Vietnamを一枚目のDominoとして見ていたのです。


でもDomino Theoryは本当に正しかったのか

結果を見ると面白いです。VietnamはCommunistになる。LaosもCommunist。CambodiaもKhmer Rouge。ここまではDomino Theoryっぽい。

ところがThailandはCommunistにならない。Malaysiaもならない。Singaporeもならない。Indonesiaもならない。さらにCommunist VietnamとCommunist Chinaが1979年には戦争までします。つまり、「Communistになれば全部MoscowやBeijingの同じblocになる」という見方は単純すぎました。

Nationalism、history、territorial disputes、各国のinterestsはIdeologyより強いこともある。だからVietnam Warを見るときの大きな問いは、「AmericaはVietnamで勝てたか?」だけではありません。「そもそもAmericaはVietnamでそこまで戦う必要があったのか?」でもあります。


Gulf of Tonkin ― Americaが本格的に入る

1964年、USS MaddoxがNorth Vietnamese torpedo boatsとGulf of Tonkinで交戦。最初のAugust 2 attackは実際にありました。問題はAugust 4の二度目のattackです。当時から疑問があり、後の資料検証では二度目のattackは起きていなかったとされています。しかしJohnson administrationはNorth Vietnamese attackとしてCongressへ説明。CongressはGulf of Tonkin Resolutionを通し、PresidentへVietnamでmilitary actionを拡大できる非常に広いauthorityを与えます。正式なDeclaration of Warではありません。でも実質的には、「必要ならPresidentがやっていい」に近い。1965年からAmerican combat troopsが本格的に増えていきます。


なぜ世界最強のMilitaryがVietnamで勝てないのか

AmericaにはBombers、Helicopters、Artillery、Napalm、圧倒的なlogisticsがあります。問題は、何をすればVictoryなのかがはっきりしないことです。North Vietnamを完全占領すれば?Chinaが出てくるかもしれない。Koreaで一度経験しています。最悪Soviet Unionまで絡む。Nuclear ageです。だからTotal Warは危険すぎる。でも中途半端に戦えば終わらない。


Body Countという変なSuccess Metric

Vietnamではterritoryを取れば終了という戦争ではありません。そこでAmericaが重視した数字の一つがbody countでした。Enemyを何人killしたか。相手のlossがreplacementを上回れば、いつか耐えられなくなる。理屈としては分かります。でもNorth Vietnam側がAmericaよりはるかに大きなcasualtiesを受け入れてでも戦争を続けるなら、計算が崩れます。AmericaではAmerican soldiersの死者が増えるほどpolitical supportが落ちる。North Vietnam側では、「外国勢力との長い戦いの続き」というnationalist dimensionもある。Military Powerと「どこまで犠牲を受け入れるか」は別の力です。


Viet Cong ― Enemyがどこにいるのか分からない

North Vietnamese Armyはregular militaryです。一方Viet Congとして知られたCommunist insurgencyはSouth Vietnam内で活動します。American troopsからすると非常に難しい。Villageにenemy support networkがあるかもしれない。Civilianとguerrillaを簡単に区別できない。Villageをsearchする。住民を疑う。家を破壊する。するとAmericaやSouth Vietnamese governmentへのresentmentが増える。Enemyを減らすためのoperationが、次のenemyを作る可能性がある。Counterinsurgencyの難しさです。


South Vietnam政府そのものは信用されていたのか

ここも大問題です。Americaは、「South VietnamをCommunismから守る」と言います。でもSouth Vietnamese governments自身がpolitical instability、authoritarianism、corruptionなどの問題を抱えていました。Americaが本当に必要としていたのは、South Vietnamese citizens自身に、「このstateには守る価値がある」と思ってもらうことです。これはB-52では作れません。Americaはbattleには勝てる。でもgovernment legitimacyを爆撃で作ることはできない。VietnamではMilitary ProblemとPolitical Problemを分けられなかったのです。


Tet Offensive ― 勝ったのに負けたように見える

1968年、North Vietnamese forcesとViet CongがTet holidayにSouth Vietnam各地で大規模な一斉attackを行います。Saigonまでattackされる。America/South Vietnam側は反撃し、多くのterritoryを取り戻します。Viet Cong側も大きな損害を受けます。つまりmilitaryだけ見れば、AmericaがTetで完全敗北したわけではありません。でもAmerica国内では大打撃です。Governmentから、「progressしている」「enemyは弱っている」と聞いていた。ところがTVを見るとSaigonまで攻撃されている。国民は、「話が違うじゃん」となります。これがCredibility Gapです。Governmentの説明と、自分たちが見ているrealityが違う。


Vietnam WarはAmericaのLiving Roomに入ってきた

VietnamはTelevision Warでもありました。Body bags。Burning villages。Wounded soldiers。Anti-war protests。そしてDraft。若いAmerican menにとってVietnamは、「Foreign Policyについてどう思いますか?」というabstractな問題ではありません。自分がVietnamへ送られるかもしれない。だから大学を中心にanti-war movementが拡大します。Civil Rights Movementとも重なります。

「America国内ではBlack Americansが差別されているのに、Asiaへ行ってFreedomのために戦うとはどういうことなのか」という批判も出る。Martin Luther King Jr.も1967年にはVietnam Warへの反対を公に強めます。


My Lai、Agent Orange、Napalm

VietnamではAmerica自身の「Justice」というstoryも傷つきます。1968年のMy Lai massacreではAmerican soldiersが多数のunarmed Vietnamese civiliansを殺害しました。Napalm。Agent Orange。もちろんAmerican soldiers全員をMy Laiと同一視するのは間違いです。しかしAmerica国内では、「自分たちは本当に正義の側として戦っているのか?」という疑問が強くなります。WWIIでは比較的作りやすかった、Good Side vs. Bad SideというstoryがVietnamでは成立しにくくなったのです。


Nixon ― Vietnamからどうやって出るか

1969年、Richard NixonがPresidentになります。Nixonの問題は、すぐ撤退すれば「Americaが逃げた」ように見える。続ければ国内が持たない。そこでVietnamization。American troopsを徐々にwithdraw。South Vietnamese militaryを強化して、自分たちで戦わせる。一方ではCambodiaへのbombingなどmilitary pressureも続けます。「戦争を終わらせる」と言いながらCambodiaまで戦闘が広がり、America国内のprotestsも激化します。


1973年America撤退。そして1975年Saigon陥落

1973年、Paris Peace Accords。American combat forcesが撤退します。しかしVietnamのwar自体は終わりません。1975年、North Vietnamese forcesがSouthを制圧。Saigon陥落。South Vietnamは消滅します。Americaが約20年間避けようとしていた結果が、最後には起こりました。


AmericaはVietnamで負けたのか

ここは少し丁寧に考えた方がいいです。American Armyがbattlefieldで完全撃破され、降伏したわけではありません。Americaは1973年にwithdraw。South Vietnamが1975年に敗北します。だから、「American militaryはbattleでは負けていない」という語りが出る理由は分かります。でもAmericaのpolitical objectiveは、South Vietnamをnon-Communist stateとして存続させることでした。そのSouth Vietnamは1975年に消えています。つまり、Battlefield performanceとWar outcomeは別です。Americaは多くのbattleで優勢でも、最終的なpolitical objectiveを達成できませんでした。これがVietnamの核心です。


VietnamでAmericaは何を間違えたのか

一つだけではありません。VietnamをCommunismというlabelで見すぎて、Vietnamese nationalismやcolonial historyを過小評価した。South Vietnamese governmentのlegitimacyをAmerican military powerで補えると思った。Military superiorityをPolitical Victoryへ変換できると思った。North側がどこまでcasualtiesに耐えるのか読み違えた。そして一度入った後は、「今撤退したらAmericaのcredibilityはどうなる?」という別の問題に縛られ、抜けにくくなった。さらにGovernmentのpublic explanationと現実のgapが広がり、America国内のtrustまで失いました。一言で言えば、Americaは「どう戦うか」には非常に強かった。でも「何をもって勝ちなのか」を最後まで解決できなかった。


Watergate ― Nixonはただの「汚職President」だったのか

Vietnamとほぼ同時期にWatergate scandalが起きます。1972年、Washington, D.C.のWatergate complexにあるDemocratic National Committee headquartersへ、Nixon reelection campaignに関係する人物たちが侵入します。しかし本当にNixonを倒したのは、burglaryそのもの以上にcover-upです。Investigationを妨害しようとする。White Houseとのconnectionを隠そうとする。そしてWhite Houseには会話を録音するsystemがありました。Supreme Courtがtapes提出を命じ、Nixon自身がcover-upに関与していたことを示す録音が明らかになります。Impeachmentが現実的になり、1974年Nixonは辞任します。

だからWatergateの核心は、「Presidentが悪いことをした」だけではありません。PresidentでもLawの上にはいない。というconstitutional issueです。NixonにはChinaとの関係改善やSoviet Unionとのdétenteなど大きなforeign-policy actionsもありました。だから単純に「汚職だけのPresident」とすると、この人物の複雑さが見えなくなります。


JFK秘密文書 ― 結局、何かすごいものが出たのか

2025年以降、National Archivesはそれまでclassificationを理由にwithholdされていたJFK assassination recordsを大規模公開しました。ただし、少なくとも公的記録の現状として、「CIAがJFKを殺したことが証明された」のような決定的な結論が出たわけではありません。むしろ価値があるのは、長年redactedだったintelligence activityやOswald周辺の資料をresearchersがさらに検証できるようになったことです。つまり、Secret Files公開=陰謀論が証明されたではなかった。


Reagan、Berlin Wall、そしてCold War終了

1970年代、AmericaはVietnam、Watergate、oil shocksなどで自信を失います。1980年代、Ronald Reagan administrationはmilitary buildupを進め、Soviet Unionへのpressureを強めます。一方Soviet側にはeconomic stagnation、Afghanistan war、Eastern Europeの不満など複数の問題が積み上がっています。

Mikhail Gorbachevはreformsを進めます。1989年、Berlin Wall崩壊。1991年、Soviet Unionそのものが解体。Cold Warが終わります。ただし、「Reagan一人がSoviet Unionを倒した」のような一人Hero storyにするのは無理があります。Soviet economyの問題、Gorbachev reforms、Eastern European movements、nationalism、military burdenなど、複数の要因が重なった結果です。


そしてAmericaは一人になった

1991年。Soviet Unionが消える。Americaと同じ規模で世界中にmilitary、economic、political influenceを持つrivalがいなくなります。Internet。Silicon Valley。Globalization。1990年代のAmericaには、「Cold Warも終わったし、DemocracyとCapitalismが世界のstandardになっていくのでは?」というoptimismも広がります。しかしAmericaが世界から手を引いたわけではありません。むしろMiddle Eastへの関与がさらに目立つようになります。


そもそも、なぜAmericaはMiddle Eastにこんなに関係しているのか

これは9/11から始まった話ではありません。理由をかなり乱暴にまとめると、Oil + Geography + Cold War + Israel + Persian Gulf Security + Terrorismです。

WWII後、Persian GulfのoilはAmericaだけでなくWestern Europeやworld economyにとって非常に重要になります。さらにMiddle EastはEurope、Asia、Africaをつなぐstrategic locationです。BritainやFranceの力が弱くなると、そのsecurity vacuumへAmericaが入っていく。そこへIsraelとArab statesの対立。Saudi Arabiaなどoil-producing statesとの関係。Soviet influenceを入れたくないというCold War。全部重なります。だからMiddle East policyは最初から、「Oilが欲しいから」だけではありません。複数のAmerican interestsが一つの地域に集中してしまったのです。


Gulf War ― IraqがKuwaitへ入る

1990年、Saddam HusseinのIraqがKuwaitへ侵攻。Kuwaitは小さい。でもoil-richです。その先にはSaudi Arabiaがあります。Americaはinternational coalitionを組み、1991年にIraqi forcesをKuwaitから追い出します。Objectiveは比較的明確です。IraqをKuwaitから出す。そして短期間で達成。Vietnamとはかなり違う。「American military powerを正しく使えば目的を達成できる」というconfidenceが戻ります。


そして9/11

2001年9月11日。al-Qaeda terroristsがcommercial airplanesをhijack。World Trade Center。Pentagon。そしてPennsylvania。America本土が大規模attackを受けます。Pearl Harborと違うのは、Enemyが国家ではないことです。

JapanならJapanとwarをする。でもal-Qaedaはterrorist networkです。「では誰とwarをするのか?」という新しい問題になります。


Afghanistan ― 9/11とのconnectionは比較的分かりやすい

al-Qaeda leadershipはAfghanistanを拠点にし、Taliban regimeがそこにいました。Americaは2001年にAfghanistanでmilitary operationsを開始。Taliban governmentは比較的早く崩れます。ここまではAmerican militaryの強さが出ます。問題はまた、その後です。

Governmentを倒した。では、stable Afghanistanをどう作るのか?Elections。Army。Police。Schools。Infrastructure。Government institutions。Americaは20年間関与します。しかし2021年、American withdrawalの過程でTalibanが急速にAfghanistanを再掌握します。Vietnamで出た問いがまた戻ってきます。Military VictoryとPolitical Victoryは同じではない。


Iraq War ― 9/11をやったのはIraqではない

ここは混同しない方がいいです。9/11 attacksをSaddam HusseinのIraqが実行したわけではありません。2003年のIraq WarでBush administrationが大きな理由として示したのは、IraqのWeapons of Mass Destruction、WMDでした。9/11後のAmericaでは、「次のattackがchemical、biological、nuclearだったら?」というfearが強い。だから、Threatが完全に確実になる前に潰すというpreemptionの考えが強くなります。

America-led forcesはSaddam regimeを短期間で倒します。ところが大規模なWMD stockpilesは発見されません。さらにIraqは安定するどころかinsurgency、sectarian violence、terrorismへ入っていきます。また同じです。Regimeを倒すことと、その後にCountryを作ることは別。


そしてBarack Obama

2008年、Barack ObamaがPresidentに選ばれます。ここでPart 3から続いていたRaceのstoryが、一つの象徴的な地点まで来ます。1865年。Slaveryがabolished。でもJim Crow。Poll Tax。Literacy Test。Separate but Equal。Great Migration。Brown v. Board。Rosa Parks。Little Rock Nine。Civil Rights Act。Voting Rights Act。そして2008年。Black AmericanがPresidentに選ばれる。

1957年にはBlack teenagersがhigh schoolへ入るために101st Airborne Divisionの護衛が必要だった。その約半世紀後にはBlack candidateがWhite Houseへ入る。これはAmerica社会が大きく変化したことを示す出来事です。

ただし、Black Presidentが誕生したことと、Raceという問題がAmericaから消えたことは同じではありません。そこを「Americaはついに人種差別を克服しました」で終わらせると、また現実から離れてしまいます。


まとめ

敵を倒すことはできる。でも、その後の社会までAmericaが作れるのか?そして国内でも同じです。Declaration of IndependenceやConstitutionにFreedomやRightsの理念を書くことと、それを実際に全員が使えることは同じではありませんでした。

Americaという国は、Powerfulだから簡単に変わる国ではない。むしろPowerfulなのに、変えるのがものすごく面倒な国です。

Part 1では、Americaという国そのものがまだありませんでした。
Part 2ではBritainから独立しました。
Part 3では大陸を広げながら、「誰がAmericanなのか」をめぐってCivil Warまで起こしました。
Part 4ではIndustrial Powerを持ち、海外へ出て、World War IIに勝ち、「AmericaのPowerで世界をbetterにできる」という成功体験を持ちました。
そしてPart 5では、そのPowerを実際に世界中で使います。

そこでAmericaが知ったのは、世界最強のMilitaryがあっても、相手のHistory、Nationalism、Religion、Politics、Societyまでは思い通りにできないという現実でした。今のAmericaは、まだWorld War II、Cold War、Vietnam、そして9/11の続きを生きています。

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